日ごろから行儀がいい書き方をしていない自覚があるので、きちんとした回答ができる立場ではないですが、自分の考えをコメントします。
「自分が書いた LaTeX のコードが古くないか確認できる手段」については、LaTeX(LaTeX2e)そのものの記法はあまり変化がないので、きちんとした書籍やドキュメントで示されている書き方をすればよい(≒ Webの検索結果で見つけた書き方はしない)と思っています。
クラスやパッケージについては、CTANで関連項目を検索し、より直近にメンテナンスされているものを探してドキュメントをあたる(利用上の注意点だけでなく推奨される代替手法が記載されている場合もあります)という方法しか思いつかないです。ただし、新しいものが正義というわけでもない(特にクラスについて)ので、話はちょっとややこしいです。
「美しさ」の問題は、LaTeXではなく「組版の基準」を問うことになるので、これはこれで輪をかけて話がややこしいです。
ここからは、いっそう個人的な意見であり、おそらく議論を呼ぶと思います。
l2tabu(翻訳されている「LaTeXべからず集」のオリジナル)にあるような内容は、あくまでも「ひとつの見解」と理解するのがいいと思います。 どのような立場でLaTeX文書を作成するかによって意識すべきことがけっこう変わると思うからです。
- PDFを作って終わりというケース
- 主に自分が継続的にソースとPDFをメンテナンスしたいケース
- 自分が編集したソースを他人がPDFにするケース
l2tabuが意味をもつのは、主に2のケースだと考えてます。このケースでは、l2tabuを参考にするほか、使うパッケージやコマンドのドキュメントを読む、もしくは、上述したように「CTANでより新しい手段を探す」ことになると思います。
一方、1や3の場合は、なんらかの意味で「良いLaTeXソースの書き方」を一概に推奨できないのが実情だと思います。
1については、望み通りの結果を得る方法が見つかったなら、それがl2tabuで推奨されないやり方であるという理由だけで問題視する必要はあまりないと思います。望み通りの結果が組版として適切かどうかという問題(2つめの質問に関する部分)はありますが、これは上述したとおり、LaTeXを適切に書くかどうかとは別な問題に思えます(たとえば、l2tabuのうちeqnarrayの話は組版として適切な結果が得られない状況が多いから使うなという話ですが、ひょっとしたら個人的にamsmathが使えなかったりalignではうまくいかなかったりする事情もあるかもしれず、それでも絶対に使うなというのも言い過ぎかなと思っています)。
3は、出版社とか学会のスタイルを使うケースを念頭においてます。この場合には、l2tabuなどではなく、当該の他人の流儀に従うことになるはずで、そこでは必ずしも新しいものやl2tabuなどで推奨されているクラスやパッケージが使われているとは限らないでしょう。たとえばgeometryやfancyhdr、jsclassesなどはあえて使わないことが少なくないと思いますし、書き手に対しても、verbatim環境は絶対に使わないでほしいといった個別の要請があると思います。